身体からの脱出〜マラソンやりたいやつはブログやめろ〜

今週のお題「2017年にやりたいこと」


2017年にやりたいことといえば、個人的にはこれに尽きる。正直いって2017年にやりたいことがマラソンとかのやつは、うだうだブログなんか書いてないで、自衛隊にでも入れよと思う。社会復帰したいやつもブログ書くのやめろよと思う。


●2016年のエロガッパ大勝利感


明らかに2016年は身体から脱出できない、バカどもが主体的に身体性を発揮し、その結果身体が破壊された年だったといっていいだろう。俗流マルクス主義にかぶれた似非エリート女が死んだり、自分のヤバさと世界のヤバさを混同した男が人を殺したりした年だった。

 サブカルチャーにおいても、身体的な表現が勝利した。

『逃げ恥』は明らかにガッキーのかわいさだけを全面に押し出した作品だった。オタク文化とヤンキー文化をテレビが見事に回収したとしか言いようがない作品だ。あのドラマのストーリーを論じている人間がいるが、バカとしか言いようがない。あんなものは「ガッキーかわいいな」以外の消費方法はない。同人誌的な消費をマジで人間にやらせるという無茶なこころみだ。(ガッキーが年末の紅白で踊らなかったのは、マジキモいからでしかない)

更に言えば『恋ダンス』は明らかに『ヌルプム体操』だから本当にしょうもない。「ヌルプム体操気持ち悪w」と言いながら「恋ダンス踊ってみた」とかいってる方々は正気の沙汰とは思えない。自殺志願者なのか。

星野源発達障害やこじらせ的イメージの俳優だが、完全なるフェイクだ。実家ジャズバーって時点で遺伝子的に勝ってる。正直羨ましい。オザケンとかと仲良いんだと思う。ドラマに関して言えば、36歳童貞とかあんなに健全じゃない。もっと気持ち悪くて斜に構えてる。多分実家に住んでるから、家政婦はいらない。

 ガッキーに「やりがいの搾取」とかいってもらって喜んでるオタクは仕事やめたほうがいい。お前たちは仕事にやりがいを感じていないはずだ。「やりがいの搾取」という表現自体が搾取されてしまうという謎の状態が起きている。 そもそも「やりがいの搾取」ってなんなんだ。つまり身体的にイケイケな状態だけど、金銭的にはきついという状態なんだろうが、それってシンプルに「搾取」って概念でいいのではないのだろうか。

「やりがい」は精神的な概念だから「労働」という生物的な概念と非常に相性が悪い。これは繋がるべき言葉ではない。


 ●脱身体としてのオナ禁


2017年、日本のブロガーがやるべきことはただ1つオナ禁」。だろう。ブロガーは「オナ禁」をしなければならない。絶対にセックスなんてしてはならない。オナ禁こそが21世紀に人間が開発した最も偉大な概念なのだ。

オナ禁は本当に意味がない。確実に効果がなく、オナ禁してもモテるなんてことは全くない。だからこそ非常に偉大な概念なのだ。「オナ禁」は脱構築である。「オナ禁」こそが唯一のオルタナティブだ。「オナ禁」やってみたとかいう動画があるがクソ喰らえだ。オナ禁はビジネスではない。オナ禁は身体的な概念ではない。イケメンに見えるとか絶対ない。オナ禁したけどモテないというエネルギーを更にオナ禁の維持のために使うくらいでなければオナ禁ではない。

 間違ってもオナ禁を怠って「戦争反対」とか「反日」とか言ってはならない。アニメ見てはならない。精神で身体に勝たなければならない。他者に暴力をふるってはならない。自分に暴力をふるえ。非暴力とはそういうものである。オナ禁は祈りだ。僕は祈る。

オナ禁万歳!」


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